保護は本当に徹底的に実行され、どの宗教もみな自分が
一番大事にされていると思っていた。
(モンケやフビライも、どの宗教の祭典にもちゃんと顔を
出している)ただ単に平等だっただけだったのである。↓
  「宗教は無差別に尊崇すべし」
モンゴルは異教徒や異文化に対する拒否反応といったものを持ったことがない。
「人は違って当たり前」が、広い世界を知るモンゴルの常識だったし、そういう「違い」には頓着しない人たちだった。
広い領内にはさまざまな人々が暮らし、文化や宗教が混在していたが、宗教や習俗が理由で弾圧や排斥が起こったことは一度もなかった。
「神は唯一の天(テングリ)であり、我らはその神によって生を受け、また死ぬ。しかし人の手には十本もの指があるように、神は人にいくつもの道を示している。」
モンゴル本人達は(特に初期は) ほとんどシャーマニズム教徒だが、さまざまな宗教は、それぞれの方法で天に仕えているのだと考えてもいたらしい。
そう思えば、弾圧するべきものなど何もないのである。

さまざまな宗教を信じた大ハーンがいるが、
ハーンの信じている宗教が国教として国民に押し付けられるようなことはなかった。